業界初の補聴器

3つ目の国民性は、日本人の伝統、あるいは生活、風習を十分に取り入れるということである。
その必要性に異を唱える日本人は、一部の少数派を除けば、ほとんどいまい。 今日、学校の荒廃はなぜ起こるのか。
少年犯罪、少年非行はなぜ起こるのか。 それは、先述したように、生活環境、時代が変わっているにもかかわらず、50年以上も前の考え方、接し方で教育を行っているからではないのか。
意識が縦型から横型に変わったのに、手直し程度の改善の連続だけで根本的な改革を行わず、なお50年前の意識で接しているからではないのか。 時代は横型思考になり、多様化の時代になった。
しかし、子供たちには学区制という枠があって、選択の余地はない。 「自分はこの学校には行きたくないが、あの学校なら行ってみたい」という選択が許されない。

たとえその学校に行きたくなくても、強制的に行かされる。 イヤな学校に無理やり行かざれ、気の合わないイヤな先生が担任になり、そのうえイヤな勉強をしなければならない。
これではアタマにこないほうがおかしい。 なぜ子供たちがムカツき、キレるのは当然と考えないのだろうか。
そのような制度をこの時代に依然として行いながら、「少年非行、少年犯罪が激増している」と嘆く。 それはむしろ、当然の帰結だろう。
子供たちの意識と、教育制度、教育者の意識のギャップが原因であることを、私たちはそろそろ理解しなくてはならない。 そして、50年以上も前に決められた教育制度は全面的に改革されなければならない。
なによりも義務教育の改革である。 情報化の時代、そして多様化の時代に、果たして固定された学区制、6・3制の義務教育が必要かということである。
50年前の子供たちと違って、いまの子供たちの知識は比較にならぬほど多くの情報源から得られている。 したがって、義務教育は4年制でいい。
「4年間での読み書き計算の徹底」と「道義道徳教育すなわち人間教育の徹底」。 この「二つの徹底」を義務教育4年間で行えばいい。
それでは読み書き計算が不充分という人がいるかもしれないが、Mが勉強したのは、わずか3年半である。 それでも世界に名だたる会社をつくり上げることができた。

6年間、あるいは12年間義務教育を受けたからといって、それで十分ともいえないし、不足ともいえない。 読み書き計算の基本を十分に教えておけば、あとは高度情報化の時代。
自分でやりたいこと、取り組みたいことを、子供たち自身が見つけ出すだろう。 すなわち9歳までに、いかに毒人間教育を仕込むかということである。
それでは4年の義務教育のあとはどうするか。 それは、社会に出て、大工、左官、染色工といった職人の道に進んでもよし、進学してもよしということにすればいい。
そして中学・高校は、それぞれのエリート・コースとして、いわゆる千種の学校を自由につくればいい。 学校設立を自由にすればいいということである。
そのようなことをすれば、どんな学校ができるかわからないという懸念もあると思うが、好ましくない学校は自然淘汰されていくだろう。 そのために小学校は5歳からとすればいい。
10歳になってから道義、道徳、裳をしようとしても手遅れである。 およそ、道義、道徳を教え、膜けるには、もともと体力が必要である。

口先、説教だけでは身につかないのが、膜や道義、道徳である。 とするならば、教える側が子供たちに十分体力で太刀打ちできる年齢を考えると、子供たちが9歳までだろう。
今日、多くの学校が苦悩しているのは、9歳までに教育が徹底していないからだ。 この場合も義務教育としての学校は、親権者と子供に選択させればいい。
学校選択の自由を親権者と子供に与えるのである。 数学であれば、世界的レベル、世界で最高の点数を取るまで教え込む。
どの国の同世代にも負けない成績を取るようにする。 英語であれば、高校ですでに通訳ができるほどに教える。
野球であれば、高校ですでにプロもプロ、アメリカのメジャーリーグから誘いに来るまでに教育する。 ピアノ高校であれば、世界のほとんどのコンクールに優勝するほどのレッスンをさせる。
そのように徹底的にそのコースの専門家、エリートを育てるのである。 例えば、英語中学・高校、数学中学・高校、物理中学・高校、プログラマー中学・高校、ファッション中学・高校、あるいは調理中学・高校、美容中学・高校、野球中学・高校、サッカー中学・高校、なかには園芸中学・高校やピアノ中学・高校、漫才中学・高校があってもいい。
そういう、それぞれのエリート中学・高校に子供たちが自由に進む。 もちろん、横へのスライド転入を認めればいい。
子供たち自身が野球中学・高校に向いてないと思えば、英語中学・高校に転入する。 物理中学・高校が向いてないとなれば、数学中学・高校に転入する。

そのように自由に出入り転出入を可能にすればいいということである。 その代わり、徹底的にその専門を叩きこむ。
有無を言わせず、詰め込み、教え込日、野球だけをやるというのではない。 野球中学・高校とて、1週間のうち半分は数学や英語の授業を受ける。
ピアノ中学・高校とて同じことだ。 そのように、子共たちに好きに進路を選択させる。
好きに進路を選択させたうえで、継続して人間教育、道義、道徳、装教育も徹底する。 それぞれの専門を通して厳格に行う。
そのようなことをすれば、また子供たちがムカツき、キレるのではないかと心配する向きもあろうが、ほとんどその懸念はない。 それは街中のスポーツクラブ、たとえば少年野球クラブとかサッカークラブを見ればいい。
いや、学習塾でもいい。 彼らはバットで小突かれ、ボールをぶつけられても、あるいは紙の棒で叩かれても、直立不動で指導者のいうことを聞き、その通り実行しようと努力している。
すぐにムカつき、キレる同世代の子供たちが、なぜかくかように大人しく礼儀正しいのかといえば、とにかく自分自身で好きなことを「選択」したからである。 自分が好きでやることだからである。

自分の好きなことでしごかれ、叩かれても、歯をくいしばって子供たちは頑張るはずである。 イヤなことをやらせるから、キレるのである。
子供たちに「スキなことをやらせる代わりに、遠ざける」のである。 このように考えてくると、昭和22年(1947)に施行きれた教育の基本的方向を規定した「教育基本法」は当然改正されて然るべきであろう。
50年以上も前に策定された古色蒼然とした法律をいまもなお、よしとする人たちがいるとするならば、その時代必然的に変わってくるはずだ。 いうなれば、舞台が歌舞伎の舞台からミュージカルの舞台に変わったのである。
舞台が変われば、演技が異なるばかりでなく、舞台の装置も、演技のし方させ方も、およそ歌舞伎とまったく異なるものにしなければ、ミュージカルの舞台は成り立たないだろう。 それを歌舞伎の舞台そのままで、なんとかミュージカルをやろうとしている。
現状の延長線上で、現在の教育の根本的解決が図れるはずもないのではないか。 そのようなところに、教育のすべての矛盾、あらゆる問題が噴出しているのである。
断言してもいいが、今日のあらゆる教育改革は徒労に終わるだろう。 少年の凶悪犯罪はますます増加し、低年齢化する。

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